サッカーは世界共通言語である。
これには誰も異論はあるまい。と思っていたら、日韓ワールドカップの頃雑誌のエッセイで、渡辺淳一が「サッカーが好きなのは発展途上国か、仮に先進国がそうであってもそれは労働者階級である」といった主旨のことを書いていた。
爾後渡辺淳一のエロ小説は読まなくなった。「失楽園」も読んでいない。私は断然団鬼六派である。(鬼六の評伝「赦す人」を読んでみてください)
話が冒頭からそれた。私のサッカーとロシアに関わる話をしたい。
上智をようやくでて水産会社に就職し、そこのサッカー部に入った。
仕事はソ連貿易で、在日ソ連大使館に上司に連れられて出入りしていた。
入社時、200海里経済水域の国際協定が数年前に施行され、漁師が遠洋で自由に獲れなくなった時代に、ソ連の官僚とつきあうことは、会社だけでなく、日本の水産業界の要請でもあった。
ときに上司は銀座の寿司屋で情報交換し、私はといえば3人もいる水産担当のロシア人の端で、話を聞くふりをしながら寿司をつまんでいた。他の大使館員の家族を含めて、大型バスでスキーに連れていったりもした。
大使館にサッカーチームがあるが、なかなか対戦チームが見つからなくてと言われて(まだブレジネフの冷戦時代である)、会社のサッカー部との交流試合を何度か企画した。
場所は駒沢のサブグラウンドか東京水産大学(現「海洋大学」)。彼らは自前の大型バスで現れた。
結果は5回やって一度も勝てなかった。
シュートの嵐で、ゴールキーパーの私は、試合後のビールの手配を含めて多忙を極めた。
何度目かの試合のあと、ロシア人の高校生に、「あなただったら4点のうち2点のシュートは防げたはずだ」と日本語で難詰された。大人に褒められるより彼の試合に対する真面目さが嬉しくて、今でも覚えている。
ソ連が崩壊して90年代に入って、大使館はそのまま機能していたが、私のほうが前線(ロシア出張のこと)で多忙になって交流試合もなくなった。
そのころ田中章さん(73入学)から突然電話があった。ロシア選抜が来日して日本選抜(大学選抜クラスである)と3試合やるので、各試合後の記者会見通訳をやらないかと言われた。
私は当時まだサラリーマンだったが、かなり自由の効く会社で、出張を調整して引き受けた。
ちなみに田中さんは日本蹴球協会の覚えめでたきJSPの幹部だが、私のロシア語の実力は知らない。私が卒業に5年かかったのは知ってるはずだが、サッカー用語は知ってるだろうからとロシア語の実力には目をつぶられたのだろう。
結果は3試合とも日本が勝った。
記者会見のロシア人監督との質疑もたいしたことはなかったが、ひとつ大失敗した。
記者の「今年はいつからグラウンドでプレーしているのですか」という質問に「3月からです」と通訳した。
「その割にはコンデイション悪かったよな」という記者の独り言が聞こえて、しまったと思った。
MarchとMay(ロシア語でも似たような単語である)を間違えたのだ。
考えてみれば、ロシアの3月はまだ雪深く(雪というより氷の世界だが)、3月からグラウンドに出れるはずもなかった。
訂正するか迷っているうちに記者会見は終わった。
2002年の日韓ワールドカップのロシア戦はアトランタ在住の友人にアメリカ枠でチケットを取ってもらった。
競技場に入ろうとしたとき、「広瀬、おまえどっち応援するんだ」と後ろから大声で呼びとめられた。
小島宣明さん(71入学)だった。
KGBか公安に声をかけられたかのように慌てて周囲を見たが、観客の波は関心もないようだった。
最近はロシアとサッカーについて特筆すべきこともない。
たまに韓国人と日本人を両親にもつサハリン出身の親友と呑むとき、ロシア国内リーグの情勢を聞くくらいである。彼もロシアを斜めに見ているので話がよく合う。
ロシアワールドカップはちゃんとできるのだろうか。
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