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閑話 サッカーを通じて思ったこと 3

ゴールキーパーになった

ゴールキーパーに転向したのは、1968年メキシコオリンピックの年である。
私が通った中高一貫のミッションスクールは、高校二年の先輩が中学生を学年ごと指導することになっていた。
中二の夏の練習合間の話である。三つ上のコーチにゴールキーパー転向を打診された。
「フィールドならベンチ。キーパーだったらもしかしたらレギュラーになれるかも」
既にキーパーはひとりいたが、同期23人のチーム構成としてキーパー二人はコーチの当然の判断である。
自分の評価に失望はしたが是非もなかった。無事レギュラーにはなれたが、中学の県大会は優勝を期待されつつも私の不調で早々と敗退した。
高校は生徒の自主練習だったのが、私が入った年からコーチが指導することになった。

当時その高校(日本中のミッションスクールもそうだが)は外国人神父がヤマほどいた。
敗戦国日本の復興に伴う青少年教育を希望する修道士が夢をもてる時代だった。
創立者兼校長のドイツ人神父は、毎日全生徒に上半身裸でラジオ体操させるくらいでスポーツには関心がなく、同じく草創からのドイツ人副校長は山に夢中だった。氏は夏になると丹沢に篭った。生徒は氏を「天狗さん」と呼び、自らもその愛称を好んだ。
というわけでサッカー部はラテン系神父の天下になった。(ちなみに野球部はブルックリン育ちのスロバキア系アメリカ人の修道士が指導した)中学はドイツ系ブラジル人神父、高校はバスク人の修道士(のちに神父)が指導することになった。
私より上の代はコーチいなくとも7年前(かなり前ですが)全国大会出場したのだからコーチなど不要という考えが大勢だった。神父や修道士の気持ち慮る齢でもなかったのだ。
それでも、私の下の代から三年間中学県大会で優勝し、新聞に写真つきでブラジル人神父は紹介された。
当時の神奈川はサッカー後進地であったが、優勝は新聞掲載の十分な理由になった。

ゴールキーパーは全体練習から離れて、キャッチボールなど基礎練習をする。高一の春同期のキーパー二人でライン脇で練習していると、見知らぬ外国人が近づいてきて指導してやると言う。
陸上トラック脇の幅跳び用砂場に連れて行かれ、併設されていた鉄棒にぶらさがったまま投げるボールを蹴れと言った。
ストレッチがてら休んでばかりいる陸上部員は笑っていた。もちろん我々も何のための練習か理解不能だった。
彼はその春に広島の姉妹校から転勤したスペイン人神父だった。着任初年度からサッカーコーチ陣には交ぜてもらえなかったらしく、やむおえず高一キーパーの我々に声をかけたのだった。
私は彼の着任後、初めて親しく接した生徒だったようである。外国人なのに生物を担当し、生物室で彼の愚痴の聞き役にもなった。修道会に入る前に親しかった少女の古びた写真も見せてもらった。

彼のいかにもの「反主流」感が自分に似ている気がしていた。事実キーパーを続けながら反主流の人生を歩むことになった。

廣瀬裕敏

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