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閑話 サッカーを通じて思ったこと 5

草サッカー

58歳まで草サッカーを続けた。続けられた理由はいくつかある。
ひとつは、特に神奈川県でシニアサッカーがさかんなことである。
オーバー40はまだしも、オーバー50のリーグにも高校の先輩に駆り出され、オーバー60を直前に控えて引退宣言もせずに身を引いた。
60歳になるとき、チームの運営をしている先輩から、超特大、ゼッケン1のユニフォームが送られてきたが、袖を通したのは練習試合の一回だけだった。ほかの人ではまず使えないユニフォームである。申し訳ないことをした。

二つ目の理由は、さして大きな怪我をしなかったことである。
これはあまり前に出ないというプレースタイルもあるだろう。もっとも前に出なくとも歳をとると怪我をする。52歳のとき肋骨を三本折った。ゴールライン上でセービングしてボールに脇腹が乗っかったのだ。つまり自分の体重で折った。反応がコンマ数秒遅れた結果である。
高校同期、の後藤哲也(74年入学)は42歳で引退したが、彼の引退理由は納得できるものだった。イーグル時代新関東リーグ一部得点王の彼は、ヘデイングの強さを買われ、オーバー40のチームではストッパーをやっていた。無敵のヘデイングだけでなく、シュートブロックのスライデイングなどプレーは献身的だった。彼が突如引退を宣言した。
思いとどまるよう声をかけたら、彼はこう述べた。
「スライデイングのたびに腿の裏をすりむいて、これがなかなか治らず、背広のズボンにくっつくんだ」

三つ目の理由は、ゴールキーパーだったことである。
現役時代真面目に努めたキーパーは怪我も多く早く引退することが多い。長く続けていると、この専門職はどこのチームでも重宝がられた。
かくして二十代は会社のチームで、三十代は東京のクラブチームで、四十代、五十代は高校のOBチームで続けた。三十代のクラブチームは、多摩川河川敷がメインだったが、荒川まで行ったこともある。
高校のOBチームの試合会場は神奈川全域だった。相模川の河川敷はまだしも、酒匂川(小田原を流れている川です)の砂利のグラウンドまで行った。小田原高校OBチームとやると、星野晃男さん(72年入学)に声をかけられる。
「おうまだやってるのか」これがお決まりの第一声である。

五十代も後半なると、お役にたっていないのがわかってきた。50前半のフィールドプレーヤーがキーパーやったほうがマシだと思ったとき、引退を決意した。

廣瀬裕敏

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