そうこうしているうちに翌年となり、何人かの新入学生が入ってくるようになり、何とか試合を、ということになった。それぞれの人脈を生かして高校生やOBチームなどとの試合を組んでいった。近いしグランドも使えるので都立青山高校に行った記憶もある。「胸を貸してやる」くらいにつもりで行ったのだが、結局、「胸を貸してもらう」ことになった。
そこでなんといってもユニフォームが必要、ということで、どこかの安売りのえんじ色のTシャツを買い揃え、背番号を張った。もちろん一日で色は完全に褪せてしまったが、何試合か使った思い出がある。そして合宿が計画され、第一回目と、2回目くらいは山梨県韮崎市の私の叔母に実家を借りて、庭にあった野菜などを利用した自炊の合宿で楽しんだ。料理当番となった者は、自分の分だけはよく洗い、みんなの分はほとんど洗わないでそのまま料理したりしていた。もちろん当時からサッカーの盛んな韮崎であったので、付近の高校などを相手に試合をした。甲府に遠征した時には、往き返り小一時間近くのバスに乗り、女学生を相手にばかげた話に明け暮れたが、エネルギーにしなくては、と一人10合程度の牛乳(※4)をあっさりと飲んでいた。にもかかわらず太るなんてこととは無縁であった。
しかしその当時、上智の神学部の卒業生で昔体育会サッカー部だったという、内藤さんという変な人に強引にコーチとして入りこまれ、それまで限定的であった悪さと下品さも徹底してきた。サッカーとともに、男としての生き様も教えられた。神学部卒なので、悪さも大人度も並外れていた。今「誰かに会わせてやる」と言われたら、真っ先に彼を指名するのだが、残念なことに消息が分からない。それで、当時甲府でやはり合宿中であった日体大とのサッカー部と試合が決まった。その試合中、守備のかなめであったその先輩が試合途中で忽然と姿を消したのである。試合は続行され、15分くらいしたらいつの間にかポジションに戻ってきていたが、ハーフタイムで訊いたところ、「いや、牛乳の飲みすぎで我慢できなくなってトイレにいっていたんだよ」と澄ました顔。日体大の方は二軍選手が多く、試合のさなかに「お願い、一度でいいから抜かして」とこの先輩にネゴる選手もいた。すると、先輩はすでに抜かれ、おき去られた後から、「一度だけだよー」なんて叫ぶといったかわいらしい試合でした。
しかし練習も厳しく、技術も高く、素晴らしい人との出会いでした。すでに社会人となっておられたはずなのだが、朝練も試合も必ず来てくれ、どこから得てくるお金かわからないが、とにかくご馳走もしてくれ(新宿思い出横丁が多かったが)、今でもお礼が言いたくて仕方がない。純真無垢であった私も少しずつ影響を受けていった、というのはすぐに人のせいにする悪い癖か? カトリックでの共通点があるのかないのか、内藤さんはディエス神父と並んで、イーグルス創世記の大きな支援者であられた。50周年記念が行われたことなど彼にとってはまことに感激することであったと思われる。連絡取れなかった私としては後悔してもしきれない。内藤さん、もしこれを読んだらご連絡ください。