「そう、丹保康子さんと伊藤誓さん。いろいろ教えてもらいました。でも二人はプレーするわけじゃないから、朝練も時々いらっしゃるくらいで、私は毎朝、御用聞きみたいなもので、頻繁に会ってしまう。結果として、いろいろ用を仰せつかりました。でもチームの役に立つことならなんでもしたかったから楽しい作業でした。1年の時からスコアブックもつけさせてもらって、私なりに戦評書き込んだりして」
●46年10月17日 明治大生田グラウンド 対慶應工学部 2:3(0:2,2:1)、
残念な試合でした。なんかみんな調子悪いですね〜、バラバラ。バックス、すぐ真ん中空いちゃって、ゴール前平気でフリーで打たせます。非常にとんでもないことです! 2点ともその型で取られたんですもの。前半やはり向こうの動きが上回っていました。6番(宮内)いいところへ出してたもの。でも、後半向こうがバテてきて、うちのペースになったけど時すでに遅し… あとのミーテイングでも言われたように、我々はリーグが始まっているという意識、緊張感に欠けていました。心意気が足りないんです。まだ入れ替え戦に出られるかもしれないし、たとえ出られないからといって、どうでもよくないんです。もう一度新しく出直そう! P.S. コーナーの確率少ないですね。もっと練習せねばならないのでは?
「加藤さんは小田原、私は鎌ヶ谷。東京の天気はどうなってるんだろねえ、なんて朝から電話でやりとりしていました。結局わからないから、行こう!ということになるんですが。もう毎日彼と電話で話していた。秋になって授業や学生運動の関係で主力選手が何人か欠けて、予想外に苦しいシーズンでした。当時はサッカーをイーグルで始めた人も多かったし、練習にきちんと来る選手を使うか、よくサボるけどうまい選手を使うか、キャプテンは悩んでいたみたいでした。試合のあとミーテイングで『クマさん、どう思う?』って聞かれるので、思いつくまま言ってたけど、あとでスコアブック書きながら、これも言うべきだったかな? なんて反省していました。私をチームの一員として扱ってくれた加藤さんには感謝しかありません」
「今市の夏合宿ね。あれが秦野以外でやった最後の合宿。お風呂屋さんで、もちろん私は女湯なんだけど『おーいクマさん、今どこ洗ってる?』って、壁越しに聞かれたって返事できません。22人しか集まらなかったから、紅白戦のレフェリーは私。暑い中、走り回って笛を吹きました。線審いないから、オフサイドは難しかったよ。キーパーへの練習もさせてもらって感激しました」
「生意気だからね、左ウイングだった竹澤哲紀さんに、〈もっと、ウイングやってください。縦に突破しないと話になりません〉みたいなことを言ってしまったの。とにかくイーグルに強くなってほしいばかりに。あとから、女子マネージャーの言うべきことじゃないかなと思った。で、何年かたって『あのときはごめんなさい』って謝ったら、『まあな、きつかったけど…』って笑われた。竹澤さんには、スペインに移住した後も、彼がフランスでワイン輸入に従事していたので本当にお世話になりました。病気早く治してほしい」
「横田クン怖かったなあ、ときどき〈●●マル〜!〉って叫ぶんだけど、(翌年キャプテンになる)金丸クンか熊丸なのか聴き取れなくって、二人で顔見合わせたことが何回もありました。この年の夏休みに初めてスペイン短期留学。夏休みだからリーガはやってなかったけど、サマートーナメントをやっていた。ビセンテ・カルデロンに通し券買って通いましたとも。ホームのアトレテイコ・マドリー、ACミラン、パルチザン・ベオグラード、それにレッドスターだったかな。スタジアムに女の子なんていないの。ましてや日本人でメモまで取ってる=完璧に好奇の目で見られてた。今でこそスタジアムに女性の姿見るけれど、スペインですら、サッカーは男たちの娯楽だったのよね。それと、やっぱりゲームを見る眼が違うなあ、って思ったの。得点につながらなくても、狙いのあるパスやヨミのいいデイフェンスには、タイミングよく拍手が起こる。ブーイングも理由がはっきりわかる。観客が育たないとサッカーも育たないんだなと感じた。そして、夏後半の合宿に合わせて帰国しました」